Astro-note

探索用星読みノート。過去現在未来と限りないホロスコープの宇宙を彷徨います。

『ボタニカ』と牧野富太郎のホロスコープ

2023年始、植物学者・牧野富太郎の生涯を描いた小説『ボタニカ』を読んでいた。

発行されたのは一年前の1/20、書店で見かけたのは夏頃だったか?

気になりつつも後回しにしていたのだけど、年末年始の休みの間に読もう、と買ってきたのが大晦日の少し前。

休みが終わろうとしているのに、やろうとしてたことが捗らなくて、小説なんか読んでる場合じゃないかもなぁと思いながらも、やっぱり色々捗らないので諦めて読んでいたら、半日で残り半分はあっという間に読んでしまった。

他のことがどうであろうと、とりあえずはやろうと決めたことをやってしまった方が次へ行けるんじゃないか。

そうできない、ぐずぐずした性格なんだ...

 

一方の牧野富太郎は、植物一筋でこうと決めたら周りがなんて言おうと気にしない。

私と全く真逆の性格だ。

それもそのはず、私のホロスコープの月の真逆の位置に太陽がある。

それを[月"逆"回帰]の日に知ったものだから興奮冷めやらず。

なのに、富太郎のように没頭できないところが恨めしい。

 

今までに自伝なども読んだことはないし、

小説なので極端なくらいの破天荒な人物描写になっているのかもしれないけど、

ホロスコープを見れば、なるほどと思ってしまうから、そう遠くないのかもしれない。

そもそも、植物学者が自伝を書いている時点で自信家なんだろうし、

それでも、やってのけたことは語りきれないほどの、それ以上の功績だ。

 

小説を書くにあたって作者はいくつもの文献に当たっていて、

富太郎も手元に一万冊以上の資料があったという。

私は一冊の小説とホロスコープしか見ないんだから、大したこと言えなくって当然。

しかも、目的もなく書き始めるんだから困ったものだ。

学問にも終わりがないというのを言い訳にしつつ、課題にしてたのに一つも進まなかった水星のトレーニングの一環として、読んでみようと思う。

 

牧野富太郎(まきのとみたろう)

1862年5月22日(文久二年四月二十四日)生まれ。

植物好きの端くれとして牧野富太郎の名前は知っていても、昔の人でしょ、と、その業績までは全く無頓着だった。

そもそも日本史が苦手で、富太郎が生きた時代背景もなかなか理解し難かったけど、小説の中には私でも知っている錚々たる顔ぶれが名を連ねている。

真逆の月と太陽だ、ちょっと私らしくもなく、時代背景なども調べてみようか。

それが気になったのも、富太郎の生年月日を調べていると、4/24と5/18の二つが出てきて戸惑ったことがきっかけ。

どうやら「四月二十四日」は旧暦の日付のようだけど、何やらの記念日はこの旧暦の日付を基に、西暦の4/24に定めているんだからややこしい。

さらに調べていくとこの時代、元号がどんどん変わっている。

富太郎の生まれた1862年は今から160年前、奇しくも乙女座グレートコンジャンクションの年...

ちなみに前年の10/22あたりに乙女座19°(数え度数)で会合があったのち、逆行中も木星土星は並んでしばらく近くにいた。

しかも、順行に戻ったのが富太郎の生まれ月の5月。

木星は15日、土星はなんと、富太郎の生まれた18日に逆行を終えたところ。

土星の圧力を交わし交わし、自分を貫いた男...

物語は彼の生涯を当時の出来事などと詳細に描いてくれているから、

ホロスコープの読みがいがあるというもの。

流石に共に土星期になると、文字通り今までのツケが回ってくる。

学術的な偉業の裏で貯めに溜めた借金、その挽回方法がまた常識外れで、

グレコン含むTスクエアの為せる業...?いやまったく、恐れ入ります。

小説にも往時の有名人が数多く登場するんだけど、同い年に森鴎外がいたっていうのもなるほど頷ける。

社会自体が激変する中で、常識も何もまだない時代、

でも後にも先にもそんなことが通用するのはこの人だけだったろう。

 

 

歴史に目を向けてみると、1862年は「生麦事件」のあった年。

と言われても、小学校か中学校の歴史でその名前を覚えてるだけ、

そんな時に「むぎお」という先生がいたものだから、そっちを連想してしまう。。

あんまり深入りしなくていいか...

でもいくら日本史が苦手といえ、西洋かぶれしてる身でもあるから、まさに開国したこの頃の概観だけはさらっておこうと思う。

浦賀にペリーが来航したのは、富太郎の生まれる九年前、1853年と、そう遠くない。

1854年日米和親条約、1856年に日露和親条約、と、近いのに今では遠く感じる、ロシアとの親交が深かったんだ。

生まれてから数年の間に討幕運動やら新撰組やら何やら血生臭い事件がたくさん起きていた。

1867年に大政奉還、翌年に戊辰戦争が始まり、明治時代が幕を開ける。

「誠太郎」という名前で生まれた子は病弱で、5歳まで生きられるかと言われていたそうだが、「富太郎」に改名してからは嘘のように丈夫な子になり、野山を駆け回っては植物たちと話をし、齢九十歳余りまで生きたのだ。

「誠太郎」だったら、うん、厳しかったね...

なんであれ、この時代を生き抜いた人たちは、みんな立派だなぁと思う。

 

小説は、12歳の富太郎が描かれて始まる。

植物たちと話をするなんて、小説っぽい仕掛けではあるが、あながち本当だったのかもしれない。

富太郎の月は魚座。火星とキロンも近い場所にあって、目に見えないものを感じ取る力をもっていそうだ。

脱線するけど、この辺、バッチ・フラワーレメディを産み出したエドワード・バッチ博士と通じるものも感じる。

ateliersoleil.amebaownd.com

鎖国していた日本はその道で随分遅れをとっていて接点もなかったといえ、同時代に生きた人ではあったんだ。

そして、接し方は違えども、植物を愛するという点でも同じような志をもっていたのかもしれず。

 

私の勝手な推察では、乙女座が植物好きのサインなんだと思ってる。

地のサインつながりで、薔薇とかすごく限られた種類の花を愛でるのは牡牛座、植物学とか園芸愛好家は乙女座、庭園とか作っちゃうのは山羊座

まぁ、牡牛座と山羊座については具体例をまだ見つけられておらず、仮説でしかないんだけど。

それとも乙女座に何か特徴的な天体が入ることによって、植物への情熱が湧き出やすい?

とにかく乙女座グレコンの頃に生まれた富太郎、いや幼名「誠太郎」は、植物への忠誠を誓う運命にあったのかもしれません。

そのグレコンとオポジションの月は、魚座という夢見がちのサイン。

植物の精と話していたのは、物語上の演出というわけではなかったのかもしれない?

Tスクエアを組む水星と天王星コンジャンクションは太陽と同じサインで、稀有な才能と口八丁をごちゃ混ぜにした特異な人物像を形成する要素の一つ。

小学校中退でも、自ら学び植物のことなら誰にも負けず、だからと言ってそれだけには収まらず、政治や社会の動きにも大いに関心を示す。

それは双子座っぽい好奇心からでもあり、かといって飽きっぽいわけでもない。

やるならとことんやって、でも植物への一途な想いを持ち続けている。

 

魚座の火星と牡羊座の金星...

一筋縄ではいかないような?

これは心理占星術をもう少しきちんと学んでから読みたいな。

 

射手座後半度数のドラゴンヘッドと、山羊座のヴェスタ。

子供のような好奇心を失わずとも、なんとしても植物学を究めたい、という野心が次第に出来上がってったわけだ。それでもってワーカホリックを盛大に発揮。

学び始めたら止まらず...びっくりするほどの仕事量をこなしている。

困難にもめげず(時には気づかないふりもしていたが)植物学への情熱を貫き通せたのは、ヴェスタが象徴する祖母あるいは妻たちの愛に守られていたからもしれません。

 

2022.1.12.途中だけどアップ...