2022年末、カフェで何気なく手に取った本が気になりすぎて、
これを読み終わらないと年を越せない、くらいな感じになって、
混雑してるカフェに通ってひたすら読書したあげく、、借りてきた。
その本とは、
ジョン・クラウカー『空へ-エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか』
1996年にエベレスト登山で起きた悲劇を、雑誌の取材のため実際に登山に参加していた著者が、実体験と関係者へのインタビューに基づき書いたノンフィクション。
安っぽい言葉だけど、事実は小説よりも奇なりとよく言ったもので、
高所8000mで起きた一連の出来事は想像を遥かに超えた極地であり、
実体験ではあるけれどもそこにいた著者自身の知性も判断力も失われるような状況、
それでも、ジャーナリストとして出来うる限り事実とその目で見たものに基づいて書き綴りたいという著者の真摯な姿勢が伝わってくる。
包み隠さずに書こうというその姿勢が、悲劇の混乱あるいは"現実”の中にあっては受け入れられないこともあるのだけれど。
私自身、なんでこんなにこの本に魅かれるのかよくわからなかった。
登山はほどほどに楽しむくらいで、世界の最高峰に憧れはしても、まぁ、登るなんて非現実的なことなんだと、この本を読んで思い知った。
...いや、ある意味それでも現実になってしまうかもしれないのが、今の世の中なのかもしれない。
この悲劇を通じて著者が伝えようとしていたことは、果たしてどのくらいの人の心に響いたのだろうか?
それでも山に登ったり冒険をせずにいられない人々もいる。
その行為やその人たち全てにNOを突きつけるのではない。
この本を読んで一層ヒマラヤに魅了される者もいるのかもしれず、自然環境をきちんとリスペクトした上で、その地の名声を世界に刻んでおきたいと思うのかもしれない。
...まぁ、専門家でもなんでもない私があぁだこうだいうのは趣旨ではないので、
本題?に入っていこうか。
どっちが先だったのかもはや覚えてはいないんだけど、この本に半ば無意識的に手が伸びた頃、占星術の講座の理解の手助けに「登山」という例えがあげられていた。
いきなり高い山に登ろうとするのではなく、登山をするためのトレーニングが必要だということ。
それは、向かい合う水星と木星の象徴することの例えであり、本の中で書かれている、観光化された当時の(それは結局今現在もなんだけど)ヒマラヤ登山を取り巻く状況を示しているようにも思えた。
著者は当初、観光産業化してしまったヒマラヤ登山の現状を取材するという名目のもと、雑誌社から依頼を受けてこの地を訪れるはずだった。
ただ、いくつかの運命の歯車が絡み合い、事態は思わぬ方向へと展開していく。
当初はベースキャンプに滞在し取材をする予定が、クライマーでもある著者の血が騒ぎ、一年のトレーニング期間を積めば頂上まで同行し取材できるんじゃないかと提案し承諾される。
実力がなくとも大金を積めば登頂できてしまうという登山ビジネスも、その実態を暴こうとするジャーナリズムも、どちらも行き過ぎてる感のある20世紀末の様子は、読んでいて心がざわざわしてきます。
結果的には登頂を果たしたものの、ツアーガイドや顧客の日本人女性含む12人がヒマラヤで亡くなったその年は、当時のワースト記録として取り沙汰されていた。
私は当時14歳?そんなニュースのことは1mmたりとも記憶になく。
14歳〜15歳は、水星期~金星期への移行期間。今現在、水星のアップデートというテーマが浮上しているから、その時の出来事がこうして課題として投げかけられているのかもしれない。
もとい、そういう世界の不条理のようなものはあまり目にしたくなかったというのは、
天秤座木星の幻覚作用(そんなのあるのか?)みたいなものだったのかもしれず。
今だって難しいけど、少しは大人になったんだから、
出来事に対して冷静でフラットな視点から捉えることも必要だ。
それでも当事者である著者ならなおのこと割り切れないように、
エヴェレストで起こった悲劇にはあまりにもたくさんの要素が複雑に絡まり合っていて、
誰が悪いとも何が悪いとも言えず、わかったところで亡くなった命は戻らないという、
読み終わってもなおいろんな問いを投げかけられています。
だからって元旦からこんなことしなくても、と思いつつ、書いておかないと。
大晦日の昨日、本を読みながら事故の日や当事者たちのホロスコープを出してみて、
その符号に驚いていました。でもそれで終わりにしてはいけないなぁと。
「エヴェレストの悲劇はなぜ起きたか」
これをホロスコープ目線で考えてみる、という、
ちょっと無謀な挑戦をしてみようと思います。
ちなみに、日本語のタイトルは『空へ』なんだけど、これで検索すると2020年のドラえもんの映画のテーマになった山崎まさよしの曲が出てくる...
それも私たちが水星期(もしくは月の年齢期?)に公開された「日本誕生」の新バージョンの主題歌だというのも、水星回顧のテーマを促されます。
とまた脱線しつつ、原題のほうがもっと深い意味を持っているのです。
"into thin air"、直訳すれば「薄い空気の中へ」。
それは酸素の薄いヒマラヤ高所へと踏み込んでいくこと、あるいは死に近い場所を連想させる。
検索してみると慣用句としても出てきて、
「見えなくなって、跡形もなく」とか
「waste into thin air すっかり衰弱する」
とか、ここで起きた出来事を一言で表すのに、これほどピッタリな言葉はない。
(ちなみに、また脱線するけど、"Into the Wild”という映画にもなったノンフィクションも同じ著者の手によるものだと知った時の衝撃...こちらは実体験ではないのだけど。)
その著者のホロスコープ(内円)と、エヴェレスト登頂日(外円)をみてみる。
雑なことに日本時間の設定のままだから正確さは欠いていますが、
ひとまずこちらは参考程度に...
そして、ちょっと罰当たりかなぁと思いつつ、犠牲となった人々のネイタルと同じく登頂日のチャートの二重円をみてみる。
こちらは日本人女性の難波康子さん。
日本人女性としては2人目の7大陸最高峰登頂者になった直後の悲劇。
太陽水瓶座でトランジットの月がコンジャンクション(あるいはネイタル冥王星とオポジション)、太陽がスクエア。
不屈の精神をもたらしていたであろう土星に、意欲と万全な体調を与えてくれそうな火星はトラインだけど、トランジット天王星と土星がYOD(神の指)を差し向け、冥王星がスクエア。
もしも星占いでこの登山の吉凶を尋ねられたなら、占い師はなんと答えただろうか?
木星のコンジャンクションは、他の懸念事項を全て吹っ飛ばして「大吉」としてしまうんだろう。
確かに、目標としていた登頂は果たせたかもしれないけど、引き換えになったものって?
他の人たちのホロスコープも見ていたら、山の神様に魅了された人たちが巻き込まれた数奇な運命、というほかないような気がしてきた。
著者らが加わった登山ツアーのリーダー、ロブ・ホールのホロスコープ(内円)。
山羊座の太陽/木星/土星の、誤差はあれどトリプルコンジャンクションの持ち主。
登山の神様に愛されそうな星の配置、実力も恩恵も持ち合わせた人だったんだろう。
エヴェレストには何度も登頂を果たしていたし、顧客の命を預かって挑むだけの能力も実績もあった。
なんだけど、そのやり方は絶対的に自分のやり方に従わせること。ガイドである自分と顧客とはあくまで契約関係であり、金銭をもらった上で自分(ロブ)のすべきことは安全に「登頂させる」ことを最優先としている。それを達成するために如何なる反論も指図も受けるつもりはない...そこには任務遂行のために不要な影響を受けまいと身を守る、蟹座火星的な性質が見て取れる。
だけど今回の登山では、火星の衝動を助長するトランジットの牡羊座土星がスクエアで横槍を入れてきて、普段しないような判断ミスをしてしまったようだ。
それはきっと、これまたコンジャンクションしているトランジットの木星もあるんだろう。
背景にあるヒマラヤ登山をめぐる一連のブームや社会問題、ガイドとしての地位と名声、その中でも頂点に近い位置にいたロブの、心の中に渦巻いていたカオスも飽和状態に達していたのかもしれない。
射手座の月「アグリモニー」を持っているロブ。
どんな時も気さくに振る舞っていたというけど、その裏に抱え込んだ苦悩たるや...
同じく射手座の月と蟹座火星を持っているから、同情してしまう。。
山羊座という人種の性質にはまだまだ理解が足りないけれど、臆病さを乗り越えて築いた地位にしっかりと立ち続ける努力ができるのは、支配星土星のなせる技なのだろう。
だけどこの遠征はあまりにも
現実の悪もカオスも全部承知の上で突き進むには、ある種の鈍感さも必要なのだろうなぁ。
そして、牡羊座の土星を象徴する人物(あるいは事象)の一人、ロブと敵対関係にあった遠征隊の隊長スコット・フィッシャー。
同じ山羊座太陽の持ち主だから、良きライバル関係にもなれそうなのだけど、時代が悪かったとしか言いようがない。
水サインの火星、というところも共通しているけど、内に篭りがちな蟹座と違うのは、蠍座の火星が他者の評価を得ることがより重要になってくるところだ。
「躁病的なエネルギーの氾濫」ともあって、蠍座の初期と終わりの度数にある海王星と土星と、それぞれにスクエアしている天王星と冥王星の影響だろうか。
ホロスコープを見てからあらためて人物像を読み返すと、合点がいくことばかり。
著者の人間観察力とインタビュー力、描写力に恐れ入る...
まぁ全部上げててもその通りだという確認と同意にしかならないから、トランジットの影響を見ていこう。
冥王星は、ネイタル蠍座土星とのコンジャンクションを過ぎたところ...
順調ではあるが蠍座的なテーマ(他者からの評価やそれに伴う報酬)において困難を伴う時代を経て、今回のエベレスト登頂がチャンスになると意気込んでいたのだそうだ。
同時にそれは大きな賭けでもあったということ。
乙女座が示す健康面で言えば、不調を隠して登頂を目指していた。
乙女座の支配星水星(トランジット)がネイタル冥王星とスクエアで土星とオポジション、
トランジットの月はネイタル火星とスクエアで、太陽はその火星とオポジション。
ネイタル水星には、これまたトランジット木星が近くにあり、少々の不調など楽観視させてしまうようなところがあったのかもしれない。
それにしても、地の時代の世紀末に活躍した人物が揃って山羊座..
実力は彼らと同等にありながらも、精神的な面でNo.2の地位にいた、スコット・フィッシャー側のガイド、アナトリ・ブクレーエフ。
彼はこの遠征では生き延びたものの、顧客やスコットを置いて先に下山していたという事実から、ガイドとしての責任という点において疑問を呈されている。
ただし、著者の加わったロブ・ホール隊の隊員ではない、という点で、彼がスコットとどのような契約を結んでいたかは明らかでないし、危険を冒してロブ・ホール隊の一員を救助したことは称賛に値するものだ。
先にあげた誰よりスクエアとオポジションは多いけど、「決定的」な影響を及ぼすのはコンジャンクションなのかもしれないなぁと思わせるような一例だと言えるだろう。
彼の月は射手座にあり、支配星の木星は蠍座の最初の度数にある。
サビアン「観光バス」。その分野に恩恵はあったのかもしれないけど、もしもの時に責任を取る覚悟があっただろうか。蠍座のテーマ「自己愛」が強調されるであろう配置だけど、結局はその自己愛が一度は命を救う。それは海王星が木星のすぐそばにあるからだったのかもしれないけど、救われた命を持ってその後どんな意識でどう生きるのか?
海王星には天王星と火星がタイトにハードアスペクトを組んでいる。
天体が投げかけるそんな問いに、彼は答え切ることができなかったのかもしれない...
著者のルポルタージュが真実の全てではないとしても、事実のまま書かれているブクレーエフのに行動への疑問は、登山のプロではなくても抱かずにいられないんじゃないだろうか。
でもそれに反論するような形で、ブクレーエフはインタビューに答える形式での自伝を出版する。
もしかしたら、お金を積まれたか、そそのかされて...
そうしてしまうような生い立ちと苦労を確かに彼はしてきたのかもしれない。
そして、クライミングというスポーツから得られる報酬は、その苦悩を打ち消してくれる麻薬のようなものなのだ。
事故から1年半あまり、無謀とも言える冬山登山で、登頂すら叶わず雪崩によって命を落とす。
それは奇しくもスコット・フィッシャーの誕生日の翌日...
もしかしてスコットを弔うために登ろうと計画したのではないか?
その前にも、彼の遺品を家族に渡すために、スコットの遺体のある場所を訪れていたけれど、それでもどこかにあった罪の意識のようなものが、消えなかったのかもしれない。
孤独を感じていたがゆえ、同じ山を愛する仲間として、そこに命を捧げたスコットに精一杯の誠意を見せたかったのかもしれない。
トランジットの月が海王星とコンジャンクション、彼の意志はこのように神に受け取られた。
著者ジョン・クラウカーは牡羊座で、彼らとはスクエアの、ライバルのような関係性だと言えます。
それはヒマラヤ登山とガイド産業のあり方に疑問を呈し独自の切り口で突っ込んでいくにふさわしい配置なのかもしれません。
また同時にそのことが著者を苦しませる要因にもなっている。
一端のクライマーでもある著者は、彼らガイドのやり方に疑問を感じながらも、事故を未然に防げなかったことや、自ら思い当たる幾つかの判断ミス(それは極限状況における脳機能の低下であり、本能的で無意識な自己防衛反応でもあっただろう)から、後悔や自責の念に囚われてもいた。
牡羊座には、試練や課題を表すと言われる社会天体、トランジットの土星があった。
そしてもう一人、山羊座とスクエアな人物が、ロブ・ホール隊のNo.2アンディ・ハリス。
天秤座の太陽は、事故の日の火星ときっかりインコンジャンクト、土星とはオポジション。
蟹座に月を持ち、乙女座ステリウム。クライマーとして山を制覇したい、というよりは、持ち前の頭脳や細やかさでチームを助けるサポート役として活躍してきた人物。
彼もまた旅の途中から体調が思わしくなかったのに、牡牛座の木星はきっと普段から楽観視してしまうところがあったのかもしれない。
ネイタルとトランジットの木星と海王星がそれぞれにセクスタイルとトラインになっていて、その楽観視が過信になってしまったのだ。
インコンジャンクトの火星が象徴するように、正常な判断能力や肉体の機能を失った彼は、完全に生きる方向性を見失ってしまった...
こんな風に、数奇な運命の歯車は複雑に、でも恐ろしく緻密に完璧に回って行った。
誰かのホロスコープや天体が試練や課題だったということではなくて、誰もがそれぞれの課題に向き合っていたことは平等で、それぞれの微妙な選択の違いから、その後の人生に違いが出てきたということ。
ついつい木星に引っ張られて書き始めてしまったこのブログを終わらせるためには、
1996年5月10日のチャートの木星のことをもう少し深堀する必要がありそうです。
そして木星が支配する射手座にある冥王星も、全部が全部伏線なのです。
冥王星が支配する蠍座から移動したのは、前年の11/11頃...まだ蠍座に太陽がある時だというのに、これは結構なインパクトがありそうななさそうな。
しかもその時に木星は射手座にあったから、彼らの悲劇の下地になるような状況が一見とてもポジティブなものとして広がりを見せていたことに合点がいく。
ちなみに、その1995年5月にもロブ・ホール隊はエベレストに登っていたが顧客のダグ・ハンセンの登頂は叶わず、96年にダグは再び、ロブの熱心な誘いにより参加。
しかし、彼をどうしても登頂させたいという想いを叶えることと引き換えに、二人の命はエベレストに磔にされてしまった。
射手座に移った冥王星と山羊座に移動した木星は彼らにもう一度チャンスを与えた。
だけど、それ相応の見返りのようなものを求めていた。
ルーラーシップを見ていくと、冥王星<木星<土星<火星<水星⇄金星となっていて、
大きくなりすぎた野望や夢よりも、自分の肉体という確かなものや日常の幸せなどに目を向けてみて、というごくごく平凡なメッセージに辿り着く。
それは、酷い凍傷を負った上目にも障害があり、さらに何度か見捨てられかけながらも、家族のことを思って必死に生還したというベック・ウェザーズのあり方を示しているよう。
それは何も彼ら冒険家だけの教訓ではなく、相変わらず木星の幻想に惑わされがちな、わたしたちにも言えることだ。
さらに気になって調べていたら、2014年にさらに規模の大きな遭難事故が起きている。
これまた日本のテレビ局で登山者として女性を送り込もうとしていたんだから呆れる。
登山は諦めて、無事に帰って来てくれてよかった。
ベースキャンプ付近で大規模な雪崩が起きたというその時のチャートは、もう天災としか言えないような配置だ。
登山客のためにキャンプの設営準備などに当たっていた現地のシェルパばかりが、16名亡くなったそう。その年にも300人以上がヒマラヤ(観光)登山を予定していたということだが、ほぼ全てがキャンセルとなった。
愕然とするのは、1996年の事故を受けても状況はそんなに改善していなかったということ。
そしてこれも射手座の月が引き起こしていたものだとしたら...
やっぱり木星に引っ張られてたら大変だよという結論。。