Astro-note

探索用星読みノート。過去現在未来と限りないホロスコープの宇宙を彷徨います。

赤ペン先生と蠍座ふりかえり

赤ペン先生とかって、懐かしいなぁ「進研ゼミ」、やってたなぁ。

その頃から、文章を直されるのってずっと苦手意識。

心理占星術nico先生の「赤ペン12サイン占い」の執筆の依頼をいただき、

恐縮しつつ、苦手意識を押し隠しつつ、初投稿。

初回はお手柔らかにしてくれたんだと思うが、引き続き、気を引き締めて。

 

と、先ほど第2回目の「射手座」占いを送ったところ。

先生の感想や添削はどうなるやらさておき、ほっと一息ついたところで、

蠍座期の占いを読み直し、赤ペン視点で振り返ってみるのもいいかもと思いついたところ。

nicopla.net

私が担当したのは「牡牛座」。安直に雌牛が主人公の絵本を題材に、

主人公ジャスミンの牡牛座らしさにスポットを当てて書いたわけですが、

先生の指摘通り「7ハウス」をあんまりうまく表現できていなかったかなぁ。

ジャスミンが知らないところでも、農場の他の動物たちはグサグサと批判したり批評したりするのです。その辛辣さをもっと書いてもよかったのか?

いやいや、先生は至ってポジティブな方にとっている。

そうそう、私は心理占星術の講座でも、そういう風にできなくって落ち込んでいるんだなぁ...

だから、やっかんでいる声に敏感になってしまったり、批判されようものならもう立ち直れなくなる。

 

www.ehonnavi.net

ジャスミンの本心はどんなだったんだろう?

作者があえてそれを語らなかったのは、読む側が自由に彼女の気持ちを想像していいから。

どんな考え方をしても間違ってはいないよ、という読者への寛容さ。

牡牛座というサインもまた、自分のことを誰がどう思おうと、揺らがない自己というものを表しているのかもしれない。

まぁ、人生というものはそれを身につけることがテーマの長い長い旅路なわけだけど。

 

私がジャスミンだったなら...本質は獅子座であり、牡牛座はキロン-金星乙女座フォールのある意味ミューチュアルリセプションなので、他者の反応はめっちゃ気になってしまう。

ジャスミンとは反対に、変だって言われたら帽子を脱いでしまうかも。
それなのに、みんなが被り出したなら自分も被っていいんだと安心しつつ、ようやく自分のお気に入りの帽子とそれを被っている自分を認めることができるのかも。

それはきっと、牡牛座的とは違うあり方なのだろう。むしろ反対の蠍座的か??

 

農場の他の動物たちの反応を、12サインに当てはめるとしたら何だろう?

 

「お願い、ジャスミン」と、羊のローズが言いました。

「あなただって、あたしたちみんなと 違うようにしているのは、いやでしょ?」

「でなければ、病気ね」

ジャスミンったら、やっぱりね」ローズは、とげのある声で言いました。

「みんなと同じなのが、気にいらないんだわ」

羊のローズは単純に牡羊座と言えるかどうか?最初の一言はどこか魚座っぽさもありつつ、言うことを聞かないジャスミンに対し、だんだん言葉も鋭くなっていく。
違うものに対する敵対心や攻撃性は、火星が強すぎるのかも。

 

ほかの雌牛たちは嫉妬深く僻みっぽくて、牡牛座の反対の蠍座っぽい。

め牛のクローバーが口をひらきました。「みんなと違うようにしているのは、あたしはきらいだわ。あたしに言わせれば、そんな め牛は、役たたずに きまっているもの」

ジャスミンって、あたしたちよりも賢いと、うぬぼれているのよ」

め牛のカナリーが言いそえました。

牡牛座らしさを確立していないと「自分は自分」と思えず「みんなと同じ」がいいと考えるのかもしれない。雌牛たちだけというよりも他の動物たちもそうなのだ。

 

そんな中で、猫だけに、獅子座的な王者の視点で評するのは猫のコットン。
ジャスミンの「勇気」を讃えているのも獅子座っぽい。

「あれでいいんだよ。ジャスミンは」

「ぼくが、いつも言っているように、人それぞれさ。でも、そうするには 勇気がいる。ジャスミンには、その勇気があるよ」

 

そこへ人間的な知識をはさみ込む馬のストローは水瓶座だろうか。

「あのさあ みんな、知ってる?」

「そのむかし、馬は、夏の暑い日ざしの下では、麦わら帽子をかぶっていたようだよ。ふたつの耳のために、ふたつの穴をあけてね」

その知識をすかさず拾い上げ評する豚のピグレットは、水星の申し子的で双子座っぽい。

「たぶん、結局のところ、帽子をかぶるのは、そんなにへんてこなことでは ないのかもしれないわ。もちろん、わたしはかぶらないけど」

最後に自分の立場を多数派に持っていこうとするのも、双子座っぽい気がする。

ピグレットの最後の言葉に反応するように、他の動物たちも口々にそれでも帽子はかぶらないと言うのだけど、そこに「物しり顔で」犬のノイジーが言うとざわめきがぴたりとやんだ。

「みんながかぶれるだけの帽子が あると思うよ。ぼくが持ってこようか。もしも、みんなが、ジャスミンのようになりたければ、だけど。」

本当はみんな、帽子をかぶった自分の姿がどんなだろうかと、気になっていたのだ。
ここの場面転換は「風」エレメントつながり、天秤座なのかなぁと思う。

そうして、形勢逆転、ジャスミン以外の農場のみんなも帽子を被り始めます。

みんな自分の帽子を被った姿にご満悦。


一方で、ジャスミンは翌日からお気に入りの帽子を被るのをやめてしまいます。

そうして帽子を被っていようがいまいが、他の動物たちはみんなと同じでないジャスミンを批判します。

 

ところでジャスミン自身のセリフは冒頭数ページで出てこなくなるのですが、
それを受け継いで代弁しているのがガチョウのペチューニア。

「わたしには 納得いかないわ。め牛であれ、だれであれ、そうしたいと思うようにするのが いけないというのは」

これは牡牛座と同じ「地」のサイン、乙女座的なのだろうか。
ペチューニア自身の価値観がどうであれ、他者がそうしたいと思うことを大目に見たらどうか、ひいてはやっぱり自分がどうしようとあぁだこうだ言わず好きにさせてくれ、という、被害妄想とまでは言わなくとも少し受け身な姿勢が見える。
め牛(牡牛座)だったなら自分の価値観こそが自分にとって大切なことであり、ペチューニアみたいに他者の代わりに憤慨してあげるなんておせっかい、しないのだきっと。

牡牛座のルーラー金星は、乙女座では「フォール(下降)」、蠍座では「デトリメント(障害)という配置。

自分の価値観は本来、他者のために使うのでも、他者に侵されるものでもない。

 

しかし果たしてジャスミンの本心とは?

あれ、ふりかえりと関係なくなってきた気がする...

 

太陽が向かい側にやってくる蠍座の季節、自分の価値観が他者の評価と異なると強く感じることがあるかもしれません。自分がジャスミンの立場に置かれたらどんな態度をとるだろう? 守りたい価値はなんだろう? 自分というものへの信頼が試される一ヶ月です。

わたしはこんなことを書いています。

わたしが牡牛座太陽の持ち主、ジャスミンだったら...?

いや、やっぱりジャスミンが立派なのは、最初にちゃんと自分の価値観を述べていること。それでいて、その後誰が何を喚き立てようが気にしないで、自分のお気に入りを貫き通していたところ。

じゃぁなんで、みんなが同じように帽子を被り出した途端、やめてしまったんだろうか?

みんなと一緒が嫌な、協調的じゃない雌牛だから?
自分はみんなと違う特別な雌牛だと自負しているから?

「いたずらっぽい笑み」にはどんな気持ちが込められていたのだろうか??

 

 

...太陽と火星は今、蠍座26度(数え度数は27)でコンジャンクション

わたしのネイタル天王星の場所!
この頃、評価とか批判されることにめちゃくちゃ敏感になっていたのはそう言うことか。

そして、厳しいことを言われるのは期待の裏返しなんだという、びっくりするような価値観に出合ったのも、そう言うこと、なのか?

 

ほんとうのことというのは、何も美しいものばかりではなくて、傷つくような真実もたくさんあるんだろう。

ジャスミンの農場の動物たちが違和感を包み隠さずに、たとえちょっと相手を傷つけそうな言葉であっても伝えようとしたことは、別に責められることではない。

現代の日本だったら、いじめとかにされちゃいそうだけど、そういうのは実は、自分の価値観や個性に気づくために起きていることなのかもしれない。

我々牡牛座キロン世代には結構きついことではあるんだろうけど。

あ、しかも私の場合7ハウスで8カスプの5度前、まさに批判されたり他者の価値を押し付けられたりすることが異常に苦手。

 

自分を貫き通したジャスミンは農場主の娘アンに「農場の女王さま」に認定される。

実はそれも絵本の冒頭すでに述べられていたことなのだ。

でもあるとき、ジャスミンは帽子を脱いでしまう。

それは、自分だけの価値だと思っていたものを他の動物たちが真似てしまったことで、ちょっと傷ついてしまったからなのかもしれない。

そんなジャスミンの気持ちをアンは察してか、帽子を被ったジャスミンの肖像写真を撮ってあげたのかもしれない。

永遠に残る写真の中にジャスミン自身の普遍の価値が写し出されている。

帽子を被っていようといまいと、その時に感じた自己価値をいつでも思い出すことはできる。

ほんとうは帽子なんか被っていなくても価値ある自分なのだ。

それに気づくために、ほかの動物たちの批判があったり、自分だけのものだと思っていた帽子をみんなが被ってしまうという事件が起きてくる。

それこそが冥王星体験の象徴だったのかもしれない。

自分だけの才能だったり能力だと思っていたものは、実はみんなが潜在的に持っているものであり、自分だけで楽しんだり独り占めしていていいものでもないのだ。

 

まもなく射手座の季節がやってくる。
蠍座の季節は毎年きついけど、N天王星へのT太陽-T火星コンジャンクションの今年は、何か大きな価値の転換を起こさせられるようで、輪をかけてきつかった。

それでも気がつかないようなら、射手座の季節はもっと厳しいものになっていくだろう。

何かを目指していきたいのにそれが何かわからないままでは、一歩も先へ進んでいる気がしない。